【連載】学生のためのコーチング入門 番外編2 「オリジナルに当たる」学び方

苫米地式コーチング認定コーチの萩原崇です。

前回の番外編1では、部活と勉強が「部分を統合してひとつの全体をつくる」という同じ能力の別の現れだ、という話をしました。

番外編の2本目は、この連載の本当の最終回です。テーマは、学び方そのもの。「オリジナルに当たる」という話をします。

要約と解説に囲まれて

いまの学生は、史上もっとも「解説」に恵まれた世代だと思います。

参考書はどの科目も何十種類とあり、わかりやすい解説動画が無料で見られて、本の内容は要約サイトや要約動画が10分にまとめてくれます。生成AIも活用して勉強できてしまいます。

これ自体は、素晴らしいことです。私も解説の恩恵をたくさん受けてきました。ただ、この環境にはひとつ、気づきにくい落とし穴があります。加工されたものだけを口にして、元のものに一度も触れないまま「知っている」ことになってしまう、という落とし穴です。

情報は、経由地が増えるほどゆがむ

苫米地博士は、情報収集の原則としてこう述べています。

自分が情報の発信源に行けないときは、情報の発信源に行った人の1次情報を読むことです。
——苫米地英人『超ネット社会の成功術』

理想は、発信源を自分の五感で直接確かめること。それができないなら、発信源に一番近い「1次情報」に当たること。

なぜなら、情報は人のフィルターをひとつ通るたびにゆがむからです。誰かの要約は、その誰かが「重要だ」と判断した部分の抜き出しです。

第2回で見たとおり、何を重要と見るかは人によってまったく違います。つまりあなたが要約だけを読むとき、あなたは元の本ではなく、要約した人のスコトマ越しに本を見ているのです。

苫米地博士が「時代を超えて読み継がれる名作を読め」と繰り返し勧めるのも、この文脈です。名作や古典と呼ばれる作品は、ものごとの発信源にいた人が自分の体験と見解で直接書いた、1次情報だからです。

高い抽象度を持つ人の作品を読むことで、あなた自身も思考の抽象度を高めることができます。
——苫米地英人『超ネット社会の成功術』

考えてみてください。カントの解説書を10冊読んだ人は、「カントを学んだ」ことになるでしょうか。読んだのはあくまで、解説を書いた人の考えです。オリジナルを書いた人と、それについて書いた人。どちらの頭の中に触れるほうが、学びとして大きいか、答えは明らかだと思います。

1回読んだだけでは、まだ読めていない

「原典は難しい。読んでもよくわからない」と思うかもしれません。実は、それで正常です。苫米地博士は読書の仕組みを、こう説明しています。

一冊の本を本当に理解するには何度も読むことが必要なのです。
——苫米地英人『年収が10倍になる速読トレーニング』

同じ本に、見方によって「老婆」にも「若い女性」にも見える、有名なだまし絵の例が出てきます。本を1回読み終えた状態は、このだまし絵で「老婆」の姿がやっと見えた段階にすぎません。いい本ほど、「若い女性」のような隠れた姿がまだ残っています。

なぜそうなるのか。番外編1で紹介したゲシュタルト(部分と全体がつながってできる、ひとつのまとまり)を思い出してください。

本の内容の全体像を最初から持っているのは、著者だけです。読者は、最後まで読み終えてはじめて全体像ができます。ということは、1回目に読んだ一行一行は、全体像なしで読んでいたことになる。苫米地博士はこれを、本番前の「事前処理」の段階だと言います。全体のゲシュタルトができた状態で読む2回目から、同じ一行がまるで違って見えてくる。3回目、4回目と読むたびに、著者が本当に見せたかった景色に近づいていくのです。

1回読んでわからなかったことは、あなたの頭が悪いのではありません。読書とは、そもそも1回では終わらない設計になっている行動なのです。

受験勉強への応用:教科書と過去問はオリジナルである

ここからは、この考え方を受験勉強に当てはめた、私なりの応用です。

受験の世界での「オリジナル」は何でしょうか。私は、教科書と過去問だと考えています。

参考書も予想問題も、突き詰めれば教科書(学習指導要領)と過去問という発信源を、誰かが加工した2次情報です。加工物は入り口としては優秀ですが、最後に立ち返る先は発信源のほうです。出題者が何を問うてきたかは、過去問だけが直接語ってくれます。

「何度も読む」の応用も、苫米地博士自身が示しています。教科書をもらったその日に、最後まで全部読んでしまう、という方法です(『「1日10分」でスピード脳に生まれ変わる』)。

半分しかわからなくてもかまいません。それで1年分の内容の粗いゲシュタルトができ、以後の授業は「初めて聞く話」ではなく「全体像の穴を埋める話」、つまり復習に変わります。1回目は「老婆」が見えるだけでいい、というだまし絵の話と、まったく同じ構造です。

私自身の受験時代の話を、ひとつだけします。私は自分の現在地を、模試の点数や偏差値で測らないようにしていました。代わりに、中学1年から学んできた学習項目の中で、どの分野が弱いのかを冷静に分析する。実際、高校1年のとき「数学が苦手だ」と思い込んでいたのですが、分析してみると、本当の原因は中学3年で習った公式を忘れていたことでした。偏差値は、あなたの学力を誰かが加工した2次的な指標です。カリキュラムという発信源に立ち返ったとき、「数学が苦手な自分」という漠然としたラベルは消え、「特定の公式が抜けているだけの自分」という具体的な現在地が見えたのです。

連載全体の、本当の締めくくりに

最後に、この学び方と連載本編をつなぐ話をひとつだけ。

苫米地博士は、知識が自分のものになるのは、心から興味を持って取り込んだときだけだ、と述べています。

詰め込んだ知識はゲシュタルトの一部にならず、忘れられていく。だからこそ、知識の面でも「心から望むゴールを持つ」ことが重要になる、と述べています(『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』)。

オリジナルに当たる読み方は、時間がかかります。要約で済ませる読み方の何倍も遠回りです。その遠回りを支えるのは、結局のところ「これを本当に知りたい」という気持ち、つまりあなたのゴールです。第7回で見たとおり、ゴールがあれば、脳は関連する情報を自分で拾い始めます。そのとき拾う情報が発信源に近いほど、あなたの見る世界は、誰かのフィルター越しではない、あなた自身のものになっていきます。

本編8回と番外編2回、長い連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。この連載自体もまた、苫米地博士の書籍というオリジナルへの入り口にすぎません。気になった本があれば、ぜひ原典を(できれば何度も)読んでみてください。